効果的なSLII研修プログラムを開発する:逆向きデザインの活用法
はじめに:SLII研修設計における課題と逆向きデザインの可能性
シチュエーショナル・リーダーシップ(SLII)は、部下の発達レベルに応じてリーダーシップスタイルを柔軟に使い分けることで、部下の成長と成果を最大化する強力なフレームワークです。多くの企業がリーダーシップ開発の一環としてSLII研修の導入を検討、あるいは既に実施されています。
しかし、SLII研修を単に理論を伝える座学で終わらせず、参加者が現場で実践できるようになるためには、研修プログラムの設計そのものが極めて重要になります。一般的な研修設計では、まずコンテンツ(理論、ケーススタディなど)を用意し、それに沿って時間を配分するというアプローチが取られがちです。この方法では、知識の習得はできても、実際の行動変容やスキル習得に繋がりにくいという課題が生じることがあります。
ここで注目したいのが、「逆向きデザイン」(Backward Design)のアプローチです。逆向きデザインは、教育分野で広く採用されている設計手法であり、学習成果を起点にプログラム全体を組み立てる考え方です。SLII研修にこのアプローチを適用することで、参加者が「研修で何を学び、何ができるようになるべきか」が明確になり、より実践的で効果的なプログラムを開発することが可能になります。
逆向きデザインとは:3つのステージ
逆向きデザインは、教育者ジェイ・マクタイ(Jay McTighe)とグラント・ウィギンズ(Grant Wiggins)によって提唱されたフレームワークで、以下の3つのステージで構成されます。
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望ましい結果(習得目標)の特定: 最も重要な最初のステップです。研修や学習活動を通じて、参加者が最終的に「何を知り、何を理解し、何ができるようになるべきか」を明確に定義します。これは単に「SLII理論を理解する」といった抽象的な目標ではなく、「部下の特定の状況に対して、適切なリーダーシップスタイル(S1~S4)を選択し、そのスタイルに基づいた具体的なコミュニケーション(指示的行動・支援的行動)を行うことができる」といった、具体的かつ測定可能な行動目標として設定することが重要です。
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習得を証明する評価方法の決定: 次に、ステージ1で設定した習得目標が達成されたかどうかをどのように確認するか、評価方法を決定します。座学での知識確認だけでなく、ロールプレイング、ケーススタディ分析、行動計画の作成、現場での実践報告など、実際のスキルや行動の発揮度合いを測る多様な方法を検討します。この評価方法は、参加者が目標を達成するために必要な能力を正確に反映している必要があります。
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学習経験と指導計画の策定: 最後に、ステージ1で設定した目標を達成し、ステージ2で設定した評価に合格するために必要な学習経験や活動、指導計画を具体的に策定します。ここでは、講義、グループワーク、演習、ディスカッション、実践練習、フィードバックなど、様々な指導方法やアクティビティを組み合わせ、参加者が目標達成に向けて段階的にスキルを習得できるようプログラムを構成します。コンテンツの選択や順序も、この段階で具体的に決定されます。
従来の研修設計が「教える内容ありき」であるのに対し、逆向きデザインは「できるようになることありき」のアプローチと言えます。
SLII研修に逆向きデザインを適用する実践ステップ
では、この逆向きデザインの考え方をSLII研修の設計にどのように適用できるでしょうか。前述の3つのステージに沿って具体的に見ていきます。
ステージ1:SLII研修で参加者が「できるようになること」を特定する
SLII研修の対象者(例:新任マネジャー、中堅リーダー、部門長候補など)の現状のスキルレベルや組織が求めるリーダーシップ像を踏まえ、「研修修了後に、具体的にどのような行動が取れるようになってほしいか」を定義します。
習得目標の例(行動レベル):
- 部下の特定の業務・タスクにおける「能力(Can Do)」と「意欲(Will Do)」を適切に診断し、発達レベル(D1~D4)を判断できる。
- 診断した部下の発達レベルに対し、SLIIモデルで推奨されるリーダーシップスタイル(S1~S4)を適切に選択できる。
- 選択したスタイルに基づき、必要な「指示的行動」(例:具体的な指示、期限設定、手順の説明)と「支援的行動」(例:傾聴、承認、励まし、質問)を使い分けて部下とコミュニケーションを取ることができる。
- 部下の発達レベルの変化(成長)を捉え、それに合わせて自身のリーダーシップスタイルを柔軟に調整できる。
- 部下との「リーダーシップ契約」を設定し、期待される行動やサポートについて合意形成を図ることができる。
- 困難な状況にある部下に対し、SLIIの観点から状況を分析し、必要なアプローチを検討できる。
これらの目標は、より具体的であればあるほど、続くステージでの設計が容易になります。「SLIIの基本を理解する」といった知識レベルの目標だけでなく、「現場でこのスキルを発揮できる」という行動レベルの目標を明確にすることが重要です。
ステージ2:習得目標達成度を測る評価方法を決定する
ステージ1で定義した行動目標が、研修参加者によってどの程度達成されたかを確認するための評価方法を設計します。評価は研修中に行う形成的評価と、研修後に効果を測定する総括的評価に分けられますが、ここでは主に研修中の評価に焦点を当てます。
評価方法の例:
- ケーススタディ分析: 実際のビジネスシーンを想定したケースに対し、登場する部下の発達レベルを診断させ、適切なリーダーシップスタイルと取るべき具体的な行動について分析させる。
- ロールプレイング: 参加者がリーダー役、講師や他の参加者が部下役となり、特定の状況設定でSLIIに基づいた部下との対話を行わせる。その際、リーダー役の参加者が適切なスタイルを選択できているか、指示的・支援的行動を効果的に使えているかを評価する。
- 行動計画の作成: 研修で学んだ内容を踏まえ、実際の担当部下のうち特定のメンバーについて、その発達レベルを診断し、今後どのような目標を設定し、どのようなリーダーシップスタイルで関わっていくかの行動計画を作成させる。
- 多面評価(360度フィードバック): 研修前後に、部下や同僚、上司からSLIIに基づくリーダーシップ行動に関するフィードバックを収集し、変化を確認する(これは総括的評価に近い)。
- 短い記述式・選択式の問題: SLIIの基本的な理論や概念の理解度を確認する(行動目標の評価としては補助的)。
評価方法は、単に正解・不正解を判定するだけでなく、参加者が自身の理解度やスキル習得状況を把握し、今後の学習や実践に繋げられるようなフィードバックが得られる形式であると、学習効果が高まります。ロールプレイング後の建設的なフィードバックなどは非常に有効です。
ステージ3:目標達成と評価クリアに向けた学習経験・指導計画を策定する
ステージ1で明確にした「できるようになること」を、ステージ2で設定した評価に合格できるレベルまで習得するために、どのような学習活動や指導を行うかを計画します。
学習活動・指導計画の例:
- 理論講義: SLIIモデルの構成要素(D1-D4、S1-S4、指示的行動、支援的行動、マッチング、リーダーシップ契約など)を正確かつ分かりやすく解説する。一方的な説明だけでなく、参加者の疑問を引き出す対話を取り入れる。
- グループディスカッション: 特定の部下タイプや状況設定に対し、参加者同士でその発達レベルや最適なスタイルについて議論させる。多様な見方があることを認識し、診断スキルを磨く。
- 個別・ペアワーク: 自身の部下(または架空の部下)について、一人ひとりの発達レベルを具体的に診断してみるワーク。診断の根拠を明確にする練習。
- ロールプレイング演習: ステージ2で評価方法として設定したロールプレイングを、評価目的だけでなく練習として繰り返し行う。様々な状況設定でスタイルを使い分ける練習や、指示的・支援的行動の具体的な声かけ・行動を練習する。
- ケーススタディ分析演習: ステージ2の評価と同様の形式で、より難易度を調整したケーススタディを分析し、グループ発表や全体討議を通じて理解を深める。
- 実践計画作成ワーク: 研修で学んだ内容を自身の職場にどう活かすか、具体的な行動計画を作成する。フォローアップ研修や個別コーチングに繋げる要素とする。
- 質疑応答・個別相談: 参加者が抱える具体的な悩みや疑問に対し、講師が理論に基づいたアドバイスを行う。
これらの学習活動は、ステージ1の目標、ステージ2の評価方法と密接に連携している必要があります。例えば、ロールプレイングでの評価を重視するのであれば、ロールプレイングの練習時間を十分に確保するといった構成が求められます。また、参加者が段階的にスキルを習得できるよう、理論理解から簡単な演習、そして複雑な状況での実践練習へと、難易度を上げていくことも効果的です。
逆向きデザインによるSLII研修設計の利点
逆向きデザインの考え方をSLII研修設計に導入することで、以下のような利点が期待できます。
- 学習目標の明確化: 研修の目的が「理論を教えること」ではなく「参加者が現場で使えるようになること」に焦点を当てられるため、研修全体を通して学習目標がブレにくくなります。
- 実践への繋がり強化: 評価方法が実践的なスキルや行動に紐づいているため、参加者は研修で学んだ知識をどのように実際の行動に結びつければ良いかを理解しやすくなります。
- 研修効果の測定可能性向上: 明確な行動目標と評価方法があるため、研修の効果をより具体的に測定・検証しやすくなります。これは研修の投資対効果(ROI)を説明する上でも有効です。
- 参加者のモチベーション向上: 研修で「何を目指すのか」「何ができるようになるのか」が明確であるため、参加者は目的意識を持って学習に取り組むことができます。
- 効率的なコンテンツ選定: 目標達成に必要な学習経験から逆算するため、関連性の薄い情報や過度に詳細な理論を削減し、本当に必要なコンテンツに絞り込むことができます。
まとめ:実践的なSLIIリーダーシップ開発のために
SLIIは単なる知識体系ではなく、現場で部下と関わる上での実践スキルです。この実践スキルを参加者に確実に習得してもらうためには、研修プログラムそのものを「実践できるようになること」を起点として設計することが不可欠です。
逆向きデザインのアプローチは、SLII研修の目標設定から評価、そして具体的な学習活動の設計までを一貫したロジックで繋ぎ合わせる強力なツールとなります。企業の研修企画担当者の皆様には、ぜひこの「できるようになること」を起点とした設計思考を取り入れ、より効果的で、参加者の行動変容に繋がるSLII研修プログラムを開発されることをお勧めいたします。これにより、組織全体のリーダーシップ力向上と、それを通じたパフォーマンス向上に貢献できるものと考えられます。