SLII実践:有能だが意欲が低い部下(D3)への効果的な関わり方
はじめに:有能だが意欲が低い部下への課題
企業の研修企画や人材育成に携わる皆様にとって、組織内の多様な人材の能力を最大限に引き出すことは重要な課題の一つです。特に、あるタスクにおいては既に高い能力を持っているにも関わらず、何らかの理由で意欲や自信が低下している部下(シチュエーショナル・リーダーシップ(SLII)理論における発達レベルD3)への対応は、多くのリーダーが直面する難しさを含んでいます。
D3の部下は、タスク遂行に必要なスキルや知識は十分に備えています。しかし、自信喪失、飽き、burnout、個人的な課題、組織への不満など、様々な要因によって意欲を失っている状態です。このような状況にある部下への不適切なリーダーシップは、彼らの潜在能力を埋もれさせ、組織全体のパフォーマンス低下にも繋がりかねません。
本記事では、シチュエーショナル・リーダーシップ(SLII)理論に基づき、有能だが意欲が低い部下(D3)に対して、リーダーがどのように状況を診断し、最適なリーダーシップスタイルを選択・実践すべきかについて、具体的なアプローチを解説します。
SLII理論における部下の発達レベルD3の理解
SLII理論では、部下(あるいは個人)の特定の目標やタスクに対する準備度を「発達レベル(Development Level)」として定義します。発達レベルは、そのタスクにおける「能力(Competence)」と「意欲(Commitment)」の組み合わせで判断されます。D3は以下の特性を持ちます。
- 能力(Competence): 高い(High)
- 意欲(Commitment): 低い(Low)または変動的(Variable)
つまり、D3の部下はタスクを実行するための知識やスキルは備わっているものの、そのタスクに対するモチベーションや自信、あるいは安心して取り組める気持ちが不足している状態です。彼らは過去の成功体験や知識を持っているため、時には能力の高さからタスクを一定レベルで遂行できるかもしれませんが、持続的な高いパフォーマンスや積極性が見られないことが特徴です。
なぜD3部下への対応が難しいのか
D3部下への対応が難しい要因はいくつか考えられます。
- 能力があることによる誤解: リーダーは部下がタスクを実行できる能力があることを知っているため、「なぜやらないのか」「やる気がないだけだ」と判断しがちです。意欲の低下という側面が見落とされやすい傾向があります。
- 意欲低下の原因特定: 意欲低下の背景には複雑な要因が絡んでいることが多く、その原因を正確に診断することが容易ではありません。リーダー側からの安易な決めつけは、部下の反発やさらなる意欲低下を招く可能性があります。
- 適切なスタイルの選択: 能力が高いからといって安易に任せるスタイル(S4)を選択すると、部下は放置されていると感じるかもしれません。また、意欲が低いからといって過度に指示的なスタイル(S1)を取ると、部下の自律性やこれまでの経験を否定することになりかねません。
D3部下へのSLIIにおける推奨リーダーシップスタイル:S3(支援型)
SLII理論では、部下の発達レベルD3に対して、「S3:支援型(Supporting)」のリーダーシップスタイルが最も効果的であると推奨されています。
S3スタイルの特徴は以下の通りです。
- 指示的行動(Directing Behavior): 低い(Low)
- 支援的行動(Supporting Behavior): 高い(High)
S3スタイルのリーダーは、タスクの指示や具体的なやり方についての詳細な指導は控えめにする一方、部下の話を聞き、共感を示し、意思決定を共に考え、励ますといった支援的な関わりを多く行います。
なぜD3にS3スタイルが有効なのか
D3の部下は能力が高いため、タスクの進め方について細かく指示される必要はほとんどありません。むしろ、細かな指示は彼らの自律性や専門性を損なうと感じさせ、さらに意欲を低下させる可能性もあります。
彼らに必要なのは、タスク遂行能力に関する「指示」ではなく、意欲低下の要因に対処するための「支援」です。S3スタイルで提供される高いレベルの支援的行動は、部下が抱える不安や自信のなさ、意欲の低下といった心理的な側面をケアし、彼らが再び前向きにタスクに取り組めるよう後押しすることを目指します。対話を通じて意欲低下の原因を探り、共感や承認を示すことで、部下の自信回復や新たなモチベーションの源泉発見をサポートします。
D3部下への実践的アプローチ
D3の部下に対してS3スタイルを実践する上で、具体的にどのような行動や対話が有効なのでしょうか。以下にそのポイントを示します。
1. 正確な状況診断の実施
最も重要なのは、部下が本当にD3の状態にあるのか、そしてその意欲低下の具体的な原因は何なのかを正確に診断することです。
- 能力の再確認: 現在担当しているタスクにおいて、客観的に見て部下に必要な能力は備わっているかを確認します。
- 意欲低下の兆候の観察: 普段の業務態度、発言、ミーティングへの参加姿勢、タスクの進捗、周囲との関わり方などから、意欲が低下している兆候がないか注意深く観察します。
- 原因を探る対話: 部下と1対1で落ち着いて話す機会を持ちます。一方的に決めつけるのではなく、部下の話に耳を傾け、意欲が上がらない背景や状況について問いかけます。「最近、このタスクについてどのように感じていますか?」「何か困っていることや、以前と比べて変化したことはありますか?」といったオープンな質問が有効です。非難ではなく、理解しようとする姿勢を示すことが信頼関係を築く上で不可欠です。
- 多様な原因の考慮: 原因はタスクそのものへの飽き、難易度の変化、人間関係、評価への不満、個人的な問題、あるいは単に休息が必要なサインかもしれません。一つの原因に固執せず、多様な可能性を考慮して対話を進めます。
2. S3スタイルに基づく効果的な関わり方
診断に基づき、S3スタイル(低指示・高支援)での関わりを実践します。
- 傾聴と共感: 部下の話に深く耳を傾け、感情や考えに共感を示します。「〜ということなのですね」「それは大変でしたね」といった受容的な応答を行います。部下は自分の状況を理解してもらえていると感じることで、安心感を持ち、本音を話しやすくなります。
- 過去の成功と能力の承認: 部下が過去にそのタスクや関連する分野で成功した経験や、現在持っている能力について具体的に言及し、承認します。「以前〇〇のプロジェクトで、あなたが△△のスキルを活かして成果を出していたのが印象に残っています」「このタスクに関するあなたの知識の深さはチームにとって貴重です」など、具体的な行動や能力を称賛することで、部下の自信回復を促します。
- 課題解決への共同: 意欲低下の原因が明確になった場合、リーダーが一方的に解決策を提示するのではなく、部下と共に解決策を考えます。タスクの進め方、必要なサポート、障害となっているものの排除について、部下自身のアイデアを引き出し、一緒に計画を立てる姿勢が重要です。「この状況を改善するために、あなた自身はどのようなことができると思いますか?」「私に何かサポートできることはありますか?」といった問いかけを通じて、部下の主体性を引き出します。
- 目標の再確認とスモールステップ: タスクの目標や意義について再確認し、部下にとって取り組みやすいように、大きな目標をより小さなステップに分解することも有効です。小さな成功体験を積み重ねることで、自信や意欲を取り戻すきっかけとなります。
- 励ましと肯定的なフィードバック: 期待役割や目標達成に向けたポジティブなメッセージを伝えます。進捗の小さな一歩や、改善に向けた努力に対しても肯定的なフィードバックを promptly 行い、部下の意欲を поддержиします。
- 意思決定への巻き込み: 能力の高いD3部下に対しては、タスクに関する意思決定のプロセスに積極的に巻き込みます。彼らの意見やアイデアを尊重し、採用することで、タスクへの当事者意識やコントロール感を高めることができます。
3. 定期的なフォローアップとスタイルの調整
D3の状態は一時的なものであることが多く、適切な関わりによって意欲が回復する可能性があります。一度S3スタイルで関わった後も、定期的な対話を通じて部下の状況(能力・意欲)を診断し続けます。
- 部下の意欲が回復し、再び自律的にタスクに取り組むようになった場合は、徐々にS4(委任型:低指示・低支援)へとスタイルを移行することを検討します。
- もしS3スタイルの関わりでも意欲が回復しない、あるいはさらに低下するようであれば、診断が不十分であったか、他のより深刻な要因が背景にある可能性も考えられます。必要に応じて、人事部門や産業医、メンタルヘルスの専門家など、他のサポートリソースとの連携も視野に入れる必要があります。
研修企画担当者への示唆
D3部下への対応は、SLII理論の実践において特に重要なテーマの一つです。このスキルを組織内のリーダーに習得させるために、研修プログラムでは以下の要素を盛り込むことが有効です。
- D3部下の特性と意欲低下の多様な原因に関する理解促進: 座学だけでなく、実際のケーススタディを通じて、D3状態にある部下を見極める難しさや、意欲低下の背景にある多様な要因について深く考察する機会を提供します。
- S3スタイルの実践練習: D3部下との対話を想定したロールプレイングを重点的に行います。特に、「傾聴と共感」「原因を探るオープンな質問」「過去の成功と能力の承認」「課題解決への共同」といったS3スタイルの核となるコミュニケーションスキルに焦点を当てた練習は非常に有効です。
- 他の発達レベルとの比較: D3と他の発達レベル(特にD2:能力低・意欲高、D4:能力高・意欲高)との違いを明確にし、それぞれのレベルに対する適切なスタイルを再確認することで、D3への理解を深めます。
- 診断とスタイルの「マッチング」練習: 様々な部下の状況(ケース)に対して、適切な発達レベルを診断し、それに合ったリーダーシップスタイルを選択する演習を繰り返します。特にD3とS3のマッチングに焦点を当てます。
- よくある落とし穴とその回避策: D3部下に対してリーダーが陥りがちな誤った対応(S1やS4の適用など)とその結果を共有し、どのようにすれば適切なS3スタイルを維持できるかについて議論します。
これらの要素を盛り込んだ研修を通じて、リーダーはD3部下への対応に対する理解を深め、自信を持って実践できるようになります。
まとめ
有能でありながら意欲が低いD3の部下への対応は、リーダーシップスキルの中でも特に繊細な判断と関わりが求められる領域です。SLII理論に基づけば、D3部下にはS3(支援型)スタイルが最も効果的であり、彼らの能力を信頼しつつ、意欲低下の背景にある要因に寄り添い、対話と共感を通じて共に解決策を探ることが鍵となります。
この実践は、単に目の前の部下のパフォーマンスを回復させるだけでなく、リーダーと部下間の信頼関係を強化し、部下のエンゲージメントと自律性を高めることに繋がります。組織全体でD3部下への適切な関わり方を理解し実践できるようになることは、多様な人材の能力を最大限に引き出し、変化に強い組織を構築する上で非常に重要です。本記事が、企業の研修企画担当者の皆様が、自組織におけるリーダーシップ開発を推進する上での一助となれば幸いです。