シチュエーショナル・リーダーシップ(SLII)におけるスタイルスイッチングスキルの開発:効果的なリーダー育成プログラム設計の視点
はじめに:なぜ今、SLIIにおけるスタイルスイッチングスキルが重要なのか
現代のビジネス環境は、VUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)という言葉に象徴されるように、目まぐるしく変化しています。組織を率いるリーダーは、過去の成功体験や固定的なアプローチだけでは対応が困難な、多様な状況に日々直面しています。加えて、メンバーのバックグラウンド、経験、そして働く意欲も多様化しており、一律のリーダーシップスタイルでは組織全体のパフォーマンスを最大化することが難しくなっています。
このような背景において、シチュエーショナル・リーダーシップ(SLII)が提唱する、「部下の状況に応じてリーダーシップスタイルを柔軟に使い分ける」というアプローチは、その重要性を一層増しています。そして、この「柔軟な使い分け」こそが、本稿で焦点を当てる「スタイルスイッチングスキル」に他なりません。
SLIIの理論を理解するだけでなく、それを実際の現場で機能させるためには、リーダーが状況を正確に診断し、診断に基づいた最適なスタイルを選択し、そしてそのスタイルへとスムーズに切り替えて実行する能力、すなわちスタイルスイッチングスキルを習得していることが不可欠です。企業の研修企画担当者の皆様にとって、このスキル開発は、次世代リーダー育成プログラムや組織全体のリーダーシップ力向上施策において、極めて重要な視点となるはずです。
本稿では、SLIIにおけるスタイルスイッチングスキルが具体的にどのような能力を指すのかを明確にし、その開発における課題、そして効果的な育成アプローチについて掘り下げて解説いたします。
SLII理論におけるスタイルスイッチングの基盤
SLII理論の中心には、リーダーシップスタイルを「指示的行動」と「支援的行動」の二つの軸の組み合わせで捉え、部下の「発達レベル」(能力と意欲の組み合わせ)に応じて最適なスタイルを選択するという考え方があります。
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リーダーシップスタイル(S1-S4):
- S1(指示型):指示的行動が高く、支援的行動が低いスタイル。初心者や新しいタスクに取り組む部下に適します。
- S2(コーチ型):指示的行動が高く、支援的行動も高いスタイル。ある程度の経験はあるが、まだ自信やスキルが不足している部下に適します。
- S3(支援型):指示的行動が低く、支援的行動が高いスタイル。能力はあるが、意欲や自信が波立っている部下に適します。
- S4(委任型):指示的行動が低く、支援的行動も低いスタイル。能力も意欲も高く、自律的に業務を遂行できる部下に適します。
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部下の発達レベル(D1-D4):
- D1(熱意にあふれる初心者):能力は低いが意欲は高い。
- D2(幻滅した学習者):能力は少し上がったが意欲が低下している。
- D3(有能だが慎重な実行者):能力は高いが意欲や自信が不安定。
- D4(自律した達成者):能力も意欲も高い。
SLIIでは、部下が特定のタスクや目標に対して、D1からD4へと発達していく過程をサポートすることがリーダーの役割とされます。そして、部下の発達レベルが変化すれば、リーダーが提供すべき最適なスタイルも変化します。例えば、あるタスクでD1だった部下が経験を積んでD2やD3へと移行した場合、リーダーはS1からS2、S3へとスタイルを切り替える(スイッチングする)必要があります。このスタイルを状況に応じて柔軟に、かつ意図的に切り替える能力こそが、スタイルスイッチングスキルの中核をなします。
スタイルスイッチングスキルとは:状況診断と実行の柔軟性
スタイルスイッチングスキルは、単にSLIIの4つのスタイルを知っている、あるいは理論的な最適なスタイルを理解しているだけでは不十分です。それは、以下の二つの要素が統合された実践的な能力です。
- 正確な状況診断力: 部下が特定のタスクや目標に対して、現在どの発達レベル(D1-D4)にあるかを正確に見極める能力。これは部下の言動、業務遂行の様子、質問の内容、成果などを注意深く観察し、傾聴し、適切に問いかけることで得られる情報に基づきます。単なる印象や過去の情報に頼るのではなく、客観的な事実に基づいて判断するスキルが求められます。
- 最適なスタイルを選択し、実行する柔軟性: 診断された発達レベルに対して、理論的に最適なSLIIスタイル(S1-S4)を認識し、さらには自身のデフォルトのスタイルや得意なスタイルに囚われず、意図的にその最適なスタイルに切り替えて(スイッチングして)実際に部下と関わる能力。これは、指示的行動と支援的行動のバランスを意識的に調整し、適切なコミュニケーションを選択・実行する行動的な柔軟性を伴います。
多くのリーダーは、特定のスタイル(例:指示型が得意、あるいは支援型に偏る)に無意識のうちに固定化されてしまう傾向があります。しかし、スタイルスイッチングスキルを持つリーダーは、部下一人ひとりの、さらに言えば「部下×タスク」というミクロな状況に合わせて、意識的にスタイルを調整することができます。これにより、部下は自身の発達レベルに最も合ったサポートを受けることができ、学習と成長が促進されやすくなります。
スタイルスイッチングスキル開発における一般的な課題
スタイルスイッチングスキルをリーダーが習得・向上させる過程では、いくつかの典型的な課題に直面することがあります。これらの課題を理解することは、効果的な育成プログラムを設計する上で重要です。
- 自己認識の不足: 自身のデフォルトのリーダーシップスタイルや、特定の状況で無意識のうちに取りがちな行動パターンを正確に把握できていない。
- 状況診断の偏りや不十分さ: 部下の発達レベルを、過去の経験や自分の期待に基づいて決めつけてしまう。あるいは、十分な情報収集(観察、傾聴、質問)を行わないまま判断してしまう。
- 理論と実践のギャップ: SLIIの理論は理解しているものの、いざ実際の複雑な対人場面で、咄嗟に最適なスタイルを選択し、実行に移すことができない。
- 慣れ親しんだスタイルへの固執: 自分が得意とする、あるいは過去に成功した経験があるスタイルに頼りがちになり、部下の状況に合わないスタイルを継続してしまう。特に、挑戦的な状況やプレッシャーがかかる場面で、自分の「コンフォートゾーン」にあるスタイルに戻ってしまう傾向。
- スタイルを切り替えることへの抵抗感や不安: 普段と異なるスタイルを取ることへの気恥ずかしさ、部下からの見られ方への懸念、本当に効果があるのかという不安。
- 一貫性への誤解: リーダーシップにおける「一貫性」を、常に同じスタイルを取り続けることだと誤解し、スタイルを切り替えることが「ブレている」と感じてしまう。SLIIにおける一貫性は、理論に基づき、部下の状況変化に応じて最適なスタイルを選択するという原理・原則に一貫していることであり、スタイルそのものを固定することではありません。
これらの課題は、リーダーが意識的に学習し、実践を通じて乗り越えていくべきものです。
効果的なスタイルスイッチングスキル開発アプローチ
スタイルスイッチングスキルを開発するためには、理論学習だけでなく、実践的な演習と継続的な振り返りが不可欠です。リーダー育成プログラムにおいて、以下の要素を盛り込むことが有効です。
- 自己認識促進のためのコンテンツ:
- 自身のデフォルトスタイルや得意・不得意なスタイルを診断するツール(例:SLII®プロファイル)やワークショップを導入する。
- 他の参加者や上司、部下からのフィードバック(例:360度フィードバック)を通じて、自分のリーダーシップ行動が他者からどう見えているかを客観的に把握する機会を提供する。
- 状況診断力向上のための演習:
- 部下の言動、非言語情報、成果などから発達レベルを読み解くケーススタディやグループワークを実施する。
- 効果的な観察、傾聴、質問のスキルに関する講義やロールプレイングを取り入れる。部下との対話シナリオを複数用意し、それぞれの状況でどのような情報に注目すべきか、どのような質問が有効かを学ぶ。
- スタイルの引き出しを増やす実践練習:
- 様々な発達レベルの部下を想定したロールプレイングを繰り返し行う。特に、普段使い慣れていない、あるいは苦手意識のあるスタイル(例:指示型が苦手なリーダーにはS1の練習、任せきりがちなリーダーにはS2やS3の練習)を意図的に練習する機会を設ける。
- 特定のスタイル(例:「今回はS2のスタイルでこの部下と面談する」)と目標を設定し、意図的に実践する「行動実験」を奨励し、その結果を振り返る。
- 実践後の振り返りとフィードバック:
- リーダーが実際の現場でSLIIを実践した経験を共有し、そこから学びを得るためのピアコーチングやグループセッションの場を設ける。
- 上司や専任のコーチによる個別フィードバックを提供する。特に、どのスタイルを選択したか、それは部下の発達レベルと一致していたか、スタイルを切り替える際の障壁は何か、といった点について具体的にフィードバックする。
- 「リーダーシップジャーナル」などを活用し、自身のリーダーシップ行動と部下の反応を記録し、内省を深めることを促す。
- 認知とマインドセットの醸成:
- スタイルを柔軟に切り替えることが、部下の成長と組織の適応力を高める上で不可欠であるというSLIIの哲学に対する深い理解を促す。
- 失敗を恐れずに新しいスタイルを試すことの重要性を伝え、心理的安全性を確保する。リーダーが自身のスタイルスイッチングの試みやそこで得た学びをオープンに話せる文化を作る。
- マイクロラーニングの活用:
- 日常業務の中で短時間で実践できるマイクロアクション(例:「今日の午前中は特定の部下に対してS2の支援的行動を意識的に増やしてみる」「会議で〇〇さんへの質問は、答えを教えるのではなく考えを促すS3の質問をしてみる」)を設定し、実践と振り返りを促す。
これらのアプローチを組み合わせることで、リーダーは理論的な知識に加えて、実際の状況でスタイルを柔軟に切り替えるための実践的なスキルと自信を身につけることができます。
リーダー育成プログラム設計への示唆
研修企画担当者の皆様がSLIIにおけるスタイルスイッチングスキル開発を育成プログラムに組み込む際には、単発の研修に終わらせない設計が重要です。
- 研修コンテンツ: SLIIの基本的な理論とスタイル、発達レベルの解説に加え、状況診断のための観察・傾聴・質問スキルの実践演習、そして様々な状況におけるロールプレイングをプログラムの中心に据えます。実際の職場で起こりうる具体的なケーススタディを用いることが効果的です。
- 研修後のフォローアップ: 研修で学んだスキルを職場で実践できるよう、定期的な実践報告会、ピアコーチンググループ、オンラインフォーラムなどを設けることが推奨されます。実践で直面した課題や成功体験を共有し、互いに学び合う機会を提供します。
- 上司の関与: リーダーの直属の上司がSLIIの考え方を理解し、部下であるリーダーのSLII実践に対して建設的なフィードバックを提供できるよう、上司向けのオリエンテーションやトレーニングを実施することも効果的です。
- 組織文化の醸成: 組織全体として、部下の状況に応じた柔軟なリーダーシップスタイルを肯定的に捉え、奨励する文化を醸成します。成功事例の共有や、経営層からのメッセージ発信なども有効です。
まとめ
シチュエーショナル・リーダーシップ(SLII)におけるスタイルスイッチングスキルは、変化が激しく多様な現代ビジネス環境において、リーダーが部下の成長を促し、組織のパフォーマンスを最大化するために不可欠な能力です。これは、正確な状況診断力と、それに基づき最適なリーダーシップスタイルを意図的に選択・実行する柔軟性の統合として捉えることができます。
このスキルの開発は、単なる理論学習ではなく、自己認識の深化、実践的な演習、そして継続的な振り返りとフィードバックを通じて行われるべきです。企業のリーダー育成プログラムにおいて、スタイルスイッチングスキルの開発を意識的に組み込み、研修後の実践サポートと組織文化の醸成を併せて行うことは、組織全体のリーダーシップ力を高め、持続的な成長を実現するための重要な投資となるでしょう。