SLII®を活用した個別最適な社員キャリア開発パスの描き方
はじめに
VUCA時代と呼ばれ、ビジネス環境が目まぐるしく変化する現代において、企業における人材育成のあり方も変化が求められています。画一的な研修プログラムだけでは、多様化する社員一人ひとりのキャリア観やスキルニーズに対応しきれなくなっています。組織としては、社員のエンゲージメントを高め、持続的な成長を支援するために、より個別最適化されたキャリア開発支援の重要性が増しています。
このような背景から、個人の状況に応じたリーダーシップの発揮を重視するシチュエーショナル・リーダーシップ(SLII®)が、社員のキャリア開発支援において有効なフレームワークとして注目されています。本稿では、SLIIの理論をキャリア開発支援に応用する方法、具体的なアプローチ、そして組織として導入する際のポイントについて解説いたします。
SLII®の基本理論とキャリア開発への示唆
SLII®は、マネージャーが部下の状況(特定のタスクや目標に対する「発達レベル」)に応じてリーダーシップスタイルを柔軟に使い分けることで、部下の能力開発とパフォーマンス向上を促進するという理論です。この考え方は、社員のキャリア開発支援にもそのまま応用可能です。
SLII®における主要な要素は以下の通りです。
- 部下の発達レベル(Development Level: D): 特定のタスクや目標に対する、部下の「能力(Competence)」と「意欲(Commitment)」の組み合わせによって定義されます。
- D1: 低能力・高意欲(初心者、新しいタスクにやる気はあるがスキル不足)
- D2: 低能力・低意欲(期待通りに進まず自信を失っている、モチベーションが低下)
- D3: 高能力・低意欲(スキルはあるが、慎重、不安、あるいは飽きている)
- D4: 高能力・高意欲(経験豊富で、自律的にタスクを遂行できる)
- リーダーシップスタイル(Leadership Style: S): リーダーが部下の発達レベルに応じて使い分ける行動スタイルです。「指示的行動(Directing)」と「支援的行動(Supporting)」の組み合わせで定義されます。
- S1(指示型):指示的行動が高く、支援的行動が低い
- S2(説得型):指示的行動が高く、支援的行動も高い
- S3(参加型):指示的行動が低く、支援的行動が高い
- S4(委任型):指示的行動が低く、支援的行動も低い
- 指示的行動: 目標設定、計画立案、具体的な指示、期日の管理、進捗チェックなど、タスク遂行に関する指示や構造を提供することです。
- 支援的行動: 傾聴、励まし、褒める、質問による内省促進、共に課題解決に取り組むなど、部下の自信やモチベーション、安心感を高める関わりです。
キャリア開発支援においてSLIIを適用する際は、社員の「キャリア目標達成」や「特定のスキル習得」といったタスクに対する、その時点での能力と意欲を見極め、適切なリーダーシップスタイル(支援の仕方)を提供することが重要になります。
キャリア目標に対する「発達レベル」の見極め方
社員のキャリア開発を支援する際、彼らが目指す目標や習得したいスキルに対し、現在どの「発達レベル」にあるのかを正確に見極めることが第一歩です。単に現在の職務遂行能力を見るのではなく、「そのキャリア目標や新しいスキル習得という観点での」能力と意欲を診断します。
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能力(Competence)の見極め:
- 目標達成やスキル習得に必要な知識や経験はどの程度あるか?
- 過去に類似の経験はあるか?
- 新しいことを学ぶスピードはどうか?
- 具体的な行動計画を自分で立てられるか?
- 課題に直面した際に自力で解決できるか?
- 診断の際は、具体的な事実や過去の行動に基づいて判断することが大切です。
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意欲(Commitment)の見極め:
- そのキャリア目標やスキル習得に対する本人の関心度、重要度、熱意はどうか?
- 目標達成に対する自信の程度はどうか?
- 困難に直面した場合でも、粘り強く取り組む姿勢があるか?
- 自発的に情報収集したり、学ぶ機会を探したりしているか?
- 診断の際は、本人の言葉や非言語的なサイン、実際の行動(例:自主学習の状況)に注意深く耳を傾けることが重要です。
リーダーは、社員との対話を通じてこれらの要素を丁寧に引き出す必要があります。キャリア面談や日々の1on1ミーティングが、この発達レベル診断の主要な場となります。
発達レベルに応じた個別最適なキャリア開発支援
発達レベルを診断したら、そのレベルに合ったリーダーシップスタイル(支援の仕方)を適用します。
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D1(低能力・高意欲)への支援(スタイル:S1 指示型)
- 状況: 新しい役割やプロジェクトに意欲的に取り組んでいるが、必要なスキルや進め方が分からず、具体的な指示を求めている状態。
- リーダーの関わり方:
- キャリア目標達成に向けた具体的なステップや期日を共に設定し、明確な指示を与えます。
- 必要な知識やスキルを習得するための具体的な方法(研修受講、OJT、参考資料など)を示します。
- 進捗を細かく確認し、初期段階での成功体験を積ませることで意欲を維持させます。
- 声かけ例: 「〇〇さん、この新しい役割、意欲を持って取り組んでくれてありがとう。まずは最初の1ヶ月で、この資料を読み込み、この研修を受けてみましょう。不明な点があれば、遠慮なくいつでも質問してください。」
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D2(低能力・低意欲)への支援(スタイル:S2 説得型)
- 状況: 新しいキャリアステップやスキル習得に挑戦したが、うまくいかず自信を失ったり、難しさを感じて意欲が低下したりしている状態。どうすれば良いか分からず立ち止まっている。
- リーダーの関わり方:
- キャリア目標の意義や達成することのメリットを改めて伝え、内発的な動機付けを促します。
- スキル不足の原因を共に分析し、克服のための具体的な計画を一緒に立てます。
- 励ましや承認を通じて、自信を取り戻せるよう精神的なサポートを厚く行います。
- 指示だけでなく、その理由や背景を丁寧に説明し、納得感を醸成します。
- 声かけ例: 「〇〇さん、新しい目標への挑戦、難しさを感じているのですね。ここまでの頑張りは素晴らしいですし、この目標を達成することは〇〇さんの将来にとって大きなプラスになります。一緒に何が難しかったのか、どうすれば乗り越えられるか考えていきましょう。私もしっかりサポートします。」
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D3(高能力・低意欲)への支援(スタイル:S3 参加型)
- 状況: 必要なスキルや経験は十分にあるが、次のステップが見えなかったり、停滞感を感じたりして、キャリア開発への意欲が低下している状態。自分の考えや意見を聞いてほしいと感じている。
- リーダーの関わり方:
- 本人の強みや経験を認め、承認します。
- 今後のキャリアパスや目標について、本人の意見や考えを積極的に引き出し、傾聴します。
- 新たな役割やプロジェクトへの参加機会を提供し、本人が主体的に意思決定に関われるように促します。
- 自律性を尊重しつつ、定期的な対話で本人の内省や気づきを促します。
- 声かけ例: 「〇〇さんのこれまでの実績は素晴らしいです。今後、どのようなキャリアを築いていきたいと考えていますか?〇〇さんの持つ経験とスキルを活かせる、こんなプロジェクトがあるのですが、関わってみませんか?〇〇さんの考えを聞かせてください。」
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D4(高能力・高意欲)への支援(スタイル:S4 委任型)
- 状況: 自分のキャリア目標や目指すべきスキルが明確であり、必要な能力も備わっているため、自律的に計画を立てて実行できる状態。組織からの信頼や裁量権を求めている。
- リーダーの関わり方:
- 明確な目標設定のみ行い、その達成に向けたプロセスは本人に委ねます。
- 必要なリソース(情報、予算、権限など)を提供し、本人が動きやすいように環境を整備します。
- 定期的な報告を求めつつも、マイクロマネジメントは避け、基本的に本人に任せます。
- 新たな挑戦の機会を提供し、更なる成長をサポートします。
- 声かけ例: 「〇〇さん、この目標達成に向けて、計画立案から実行まで全てお任せします。必要な情報やサポートがあれば何でも言ってください。期待しています。」
キャリア開発対話におけるSLII®サイクル
SLII®の実践は、単なるスタイル適用に留まらず、「目標設定(Goals)→診断(Diagnosis)→マッチング(Matching)→実行(Implementation)」というサイクルを回すことが重要です。これはキャリア開発対話においても同様です。
- 目標設定(Goals): 社員と共に、具体的なキャリア目標や習得したいスキルを明確に設定します。SMART原則などを活用し、達成度を測れるようにします。
- 診断(Diagnosis): その目標に対する現在の能力と意欲(発達レベル)を、対話を通じて見極めます。自己評価と他者評価を組み合わせることも有効です。
- マッチング(Matching): 診断された発達レベルに基づき、リーダーとしてどのような支援スタイル(指示的・支援的行動の組み合わせ)を取るべきかを決定します。
- 実行(Implementation): 決定したスタイルで関わり、具体的な行動を促します。定期的なフォローアップとフィードバックを行い、必要に応じて発達レベルの再診断とスタイルの再マッチングを行います。
このサイクルを継続的に回すことで、社員は自身の成長を実感しやすくなり、リーダーはより効果的に個別の成長を支援できるようになります。特に、発達レベルは静的なものではなく、タスクや時間経過によって変化するため、定期的な「診断」と「マッチング」の見直しが不可欠です。
組織としてSLII®をキャリア開発に組み込む
SLII®を社員のキャリア開発支援に活用するためには、個々のリーダーの努力だけでなく、組織的な取り組みが必要です。
- リーダーへのSLII®研修: マネージャー層に対し、SLII®の理論だけでなく、特に部下の発達レベル診断スキルや、キャリア対話における傾聴・承認・フィードバックといった支援的行動を高める研修を実施します。
- キャリア面談のフレームワーク化: SLII®の診断・マッチングの考え方を、組織として推奨するキャリア面談のフォーマットやプロセスに組み込みます。
- 共通言語化: 社内で「発達レベル」や「指示的・支援的行動」といったSLII®の用語を共通言語として使うことを奨励し、社員とリーダー間での相互理解を促進します。
- 評価システムとの連携: キャリア目標達成に向けた取り組みや、リーダーのキャリア開発支援におけるSLII®の実践度などを、評価やフィードバックの要素として緩やかに連携させることも検討できます。
SLII®を組織のキャリア開発文化の一部として根付かせることで、社員は自身の成長パスを主体的に描きやすくなり、リーダーはそれを効果的にサポートするスキルを身につけることができます。
期待される効果
SLII®をキャリア開発支援に活用することで、以下のような効果が期待できます。
- 社員エンゲージメントの向上: 個別最適なサポートを受けることで、社員は「見守られている」「成長を期待されている」と感じ、組織へのエンゲージメントが高まります。
- 自律的なキャリア形成の促進: 自身の発達レベルに応じた適切な支援を受けることで、社員は目標達成に向けた具体的な行動を取りやすくなり、主体性が育まれます。
- 早期離職の防止: 新しい環境や役割での困難に直面したD1やD2状態の社員に対し、適切な指示と手厚い支援を行うことで、早期のつまずきやそれに伴う離職を防ぐことができます。
- 潜在能力の開花: D3やD4状態の社員に対して、適切な権限委譲や挑戦機会を提供することで、さらなるスキルアップや新しい分野での活躍を促すことができます。
- 組織全体の活性化: 社員一人ひとりが自身のキャリアパスを意識し、成長に向けて前向きに取り組む文化が醸成され、組織全体の活性化に繋がります。
まとめ
シチュエーショナル・リーダーシップ(SLII®)は、単に日々の業務遂行を管理するためのツールではなく、社員一人ひとりの個性や成長段階に合わせた個別最適なキャリア開発を支援するための強力なフレームワークです。社員のキャリア目標に対する能力と意欲を丁寧に診断し、その発達レベルに合った適切なリーダーシップスタイル(指示と支援のバランス)を提供することで、社員の自律的な成長を促し、エンゲージメントと組織全体のパフォーマンス向上を実現することができます。
企業の研修企画担当者様、人事担当者様におかれましては、ぜひSLII®の理論と実践を学び、貴社における社員のキャリア開発支援プログラムに組み込んでいただくことをお勧めいたします。これにより、社員一人ひとりが輝き、組織が持続的に成長していく未来を共に創り上げることが可能となるでしょう。